読書メモ:「男の生き方 誇り高く、信念をもて」 川北義則
村上龍の「すべての男は消耗品である」のような力強く、奮起されるようなものを期待していたが、その意味では期待はずれだった。賛否両論巻き起こるような突飛な主張というのは本書には少なく、いずれも常識の範囲内というかありきたりな感じで新鮮な気付きはあまりなかった。アポロ月面着陸時にひとりで月の裏側を回った飛行士の絶対的な孤独という話はおもしろかった。
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以下、読書での私的メモ。
いまの男がダメなのは、「男としての目標」がないからである。目標を持つことに関して、イギリスの思想家カーライルがいいことを言っている。
「目標がないくらいなら、邪悪な目標でもあったほうがいい」
「人のせいにするな」とよくいわれるが、人生はよくも悪くも他人との関わり合いで決まってくるから、よくも悪くも人のせいだといってもいい。よい場合は「おかげ」といい、悪い場合を「せい」という。
男は泣きたくても人前では泣かない、という不文律が日本にはある。そのことを指摘して、夏目漱石は次の言葉を残している。「感情を発表せぬ事に日本人ほど熟練した者はない。たまに泣くと男泣きと云う。泣き方に男性女性があるのは日本ばかりであろう」
アポロの月面着陸のとき、船内に残った宇宙飛行士は、二人の飛行士が月面で作業をしている間、たった一人で四十五分間、月の裏側を回った。月の裏側は、地上からいかなる追尾もできない。それを知っている飛行士は、かつて人類の誰も経験したことのない「絶対の孤独」の時間を過ごしたのだ。これに比べれば、この地球上で、一人で生きることなど、どうということはないではないか。
人付き合いには「鏡の法則」が成り立つ。こちらがきちんと応対すれば、自ずと向こうの態度も改まる。こちらが嫌えば向こうも嫌う。こちらが非礼ならば、向こうも非礼で応じてくる。仲良くしたければ、相手がどうであれ、挨拶惜しみはやめたい。
「狭き門を通って入りなさい。滅びに至る道は広くて大きく、それを通って入っていく人は、多いからです。一方、命に至る門は狭く、その道は狭められており、それを見出す人は少ないのです」
(新約聖書マタイ伝7章13、14節)
花火は英語ではファイアーワーク、つまり、ただの「火仕事」。味も素っ気もない。だが、日本語では、夜空に映える壮大な火を「花」に見立てている。なんと美しいことか。日本語には、この手の美学がちりばめられているのだ。私たちは、この微妙繊細な日本語を操ることで、高い感性を養ってきた。